百田尚樹著の「永遠の0」を読んだ。ここで書評を書くつもりはない。ただ、読んでいて何度も涙が溢れた。
この本を読んで、今年6月に88歳で他界した親父のことを想った。戦争に出兵し、生き延びた親父の人生もまた想像を絶するものであっただろうと思う。そして、今や数少い戦争(出兵)経験者の、その子供世代として何かを書き留めておきたい気持ちになった。
子供の頃そして若い頃、何度か戦争の話を聞かせて欲しいと言ったことがあるが、親父はほとんど話さなかった。「話したがらなかった」というほうがいいかもしれない。したがって、私が知っているつもりでいることといえば
・中島飛行機の技術者だったことがあるらしい。
・九七式艦攻に整備か何かでかかわっていたらしい。
・軍隊の写真といえば雪の中で飛行服を着た写真を一枚だけ見たことがある。
戦争について話をしない、特に軍隊での経験を話したがらない人は多いらしい。人というものは、自分の強烈な経験について、一生涯だれにも話をしないということはできるのだろうか。それほど理不尽な経験・体験だったのだろう。「話をしたところで絶対に理解できない。」という思いが強いのかもしれない。
そんな親父も、一度ポツリと話をしたことがある。もう何十年も前のことだが・・・
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連隊での新兵の訓練を終えて戦地へ向かうことになった。行き先は北方と南方で、隊で抽選のようなものがおこなわれ、行き先を割り振られた。親父は南方のくじを引いた。
そのとき親父は、南方へ行ったらほとんど生きて帰れない。北方なら生き伸びる可能性があると直感し、後になって北方のくじを引いた人間とくじをヤミ交換した。
親父は北方へ行き、交換した相手は南方へ行った。そして親父は生き延びた・・・。
くじのヤミ交換でどんな話があったのかはわからない。南方へ行った人間がどうなったかはわからない。
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この話を聞いた時、だからここに親父がいる、自分がいる。生きていてよかった。と思うと同時に、戦死したかもしれない「くじを交換した相手」のことを考えるとなんとなく嫌な感じがした。すこし嫌悪感を感じた。
しかし、だれがそれを責めることができるだろう。そのくじだけで生き延びたわけではない。北方でも戦死するかもしれない。おそらくほとんど情報がなく、それも正しい情報かどうかわからない中で、二十歳そこそこの新兵の若者が「南方は駄目だ」と直感したのだ。北か南かどちらかが正解というわけではない。
この話も親父が亡くなったから書けるようなもの。生きるか死ぬかの状況を自分に置き換えもせず批判する人間はいるものだ。すこし嫌悪感を感じた自分も、厳しい状況を理解できない未熟な人間だったと思う。
戦時中を生き延び、戦後を生きた人たちの多くは、ひとには言えないほどの、辛い、苦しい、汚い、経験をせざるを得なかっただろう。それでも戦後の日本を建て直した。そのおかげで今の自分達、その後の世代がある。親父たちの世代には本当に頭の下がる思いだ。
その人達の多くは口をつぐんだまま他界していったことだろう。その原因は、とても理解してもらえない経験であるとともに、世間からのいわれのない批判、子供世代(団塊世代あたり)からの批判にもあるのではないかと私は思っている。
いつでも親世代と子供世代はぶつかるものだ(男同士の話)。戦争経験者と団塊世代も同じ。ただ、戦争世代は自分ではどうにもならない戦争で子供世代に追及されたと思う。子供世代も必至だったと思うが。
「何故戦争に断固反対しなかったのか?」
「馬鹿者!わかりもしないで生意気なことを言うな!」
新聞記者と経済界OBの話が出てくるが、そんな雰囲気があったのは確かだ。本当に口惜しい気持ちだろう。二度と話なんかするものか、と思うだろう。そんな紆余曲折を経て、そして子供世代も戦争の話をしなくなった。
親が戦争を経験した子供世代は、戦後を知る世代。六本木にも防空壕の跡、空き地、破壊されたままの洋館跡があった。たいていは子供たちの遊び場。渋谷の駅前には傷痍軍人が座っていた。小さな子供としては正直いって怖くて近づけなかった。本書にもあったが、祖母に言われ鍋にお金を入れた記憶がある。
それらを経験してきた世代もリタイヤしつつある。第一線から離れていく。戦後を知る人も急速に少なくなっていくのだろう。
この本は、零戦の戦闘機乗りである主人公の「孫」世代を通して語っている。なるほど、と思った。正直なところ、親の戦争世代と子供の団塊世代では、このような戦争の話は成立しにくいかもしれない。
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話はやや飛躍するが、若い人にはたくさん本を読んでほしい、勉強をしてほしいと思う。仕事のためとか、知識を増やすためとか、そういう直接的なことではない。
周りに流されないためにである。
自身の価値感、価値基準を形成するためにである。
現代は情報がたくさんあって、自由に取捨選択できるように見えるが、実は正反対だ。どのチャンネルも同じニュースを同じ価値観で放送しているし、インターネット検索では、多数意見に価値があり、少数には価値を認めないロジックが基本となっている。多数の意見ばかりがまかり通る世の中だ。少数意見を探すのは非常に難しい。
したがって現代社会では情報操作はそれほど難しくないかもしれない。多くのメディアがある情報をある価値観で一斉に流し続ければ、Google検索数も飛躍的に増え、多数の情報となり、多数派となり、結果それが「正」となってしまう可能性がある。
多数意見の沿って行動してばかりいると、人間は白痴化する。会議で異論(少数意見)が出ない会社は潰れると言われるのと同じだ。
そうならないためには、一人ひとりが自分なりの価値観を持つことが必要だ。
原発賛成の話をきいたら、本当にそうなのか?
原発反対の話をきいたら、本当にそうなのか?
若い人は、たくさんの本を読み、人の話しを聞き、自分を表現することを通じて、自身の価値感、価値基準を形成し、日々磨いていってほしいと思う。
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